東京高等裁判所 昭和35年(行ナ)50号 判決
原告主張の本件発明の要旨は、台風の眼へ強力な電波を発射して台風を抑制する方法にあり、この台風抑制の効果を生ずる所以は、台風の眼の中には多量の水素が存在するが、それが、右電波の発射により同じく台風の眼に存する酸素と化合して水分子となることによるというにあるものと認められる。すなわち、本件発明は、その前提条件として台風の眼の中に多量の水素が存在することを予定しているものといわねばならない。
そこで、右の前提条件について考究する。原告は、台風の眼に存在する水素は海面における水またはこれより生ずる水蒸気が太陽光線により分解することによつて生ずるものであると主張するのであるが、成立に争いのない甲第一号証の二・同第二号証の二・三に徴すれば、水に太陽光線または紫外線が当たるときは水の一部が分解して水素および過酸化水素を生ずるけれども、その発生量は微量にすぎない(なお、水は単に熱のみによつても酸素と水素とに解離せしめることが可能であるが、そのためには摂氏約一二〇〇度以上の熱を要する。)ことが認められるのである。もつとも、台風の眼における気圧および温度は,普通の海上における場合に比し、低圧高温の状態にあることは成立に争いのない乙第二号証の二ないし一二によつても明らかであり(同書証によれば、台風の眼においては、気圧は九〇〇ミリバール前後にまで下がる場合があることが知られまた気温については、海面より約四、〇〇〇メートルの上空で摂氏一六度あつた事例―これを乙第二号証の三に記載の高度による温度の差に照らせば、海面上では摂氏約四〇度となる―が航空機観測の結果として報告されていることが認められる。)、前記のような水素および過酸化水素の発生は、通常の海面上における場合よりも幾分増大せしめられることは推認し得るところであるけれども、その量は、右の程度の低圧高温では、台風の眼の大きさ・したがつてまたそこにおける気体の全量と対比し未だ微々たるものと考えられる。
一方成立に争いのない乙第一号証の二および前記乙第二号証の二ないし一二によれば、現在の科学者の研究の結果として考えられている台風および台風の眼の成因は被告主張のとおりであること、また、台風による渦巻気流の高さは通常約五ないし一〇キロメートル程度であるが、台風の眼の垂直柱状部の大部分を通じ空気の下降流が存在し、殊に眼の中心の上層には強い下降気流をなしていること、眼の中の海面上には低い層積雲が井戸蓋のような雲海となつてかぶさつていて、その雲海の中に周囲を雲の渦で巻かれている穴(堀割りと称せられている)がみられることもあるということがわかる。もとより、右乙号各証の記述は、気象学者が台風の気象状態・その成因等について記述したもので、台風の眼における気体の化学的成分について分析した結果のようなものは記述されてはいない。けれども、遊離した水素が通常空気中に含まれる量は極めて少量であり(下層の空気中に容積率で一万分の若干程度含まれるにすぎず、高度が増すに伴い、その量は少しづつ増大するが、台風の眼の高さ程度では通常なお微量である。)、太陽光線による水分子の分解が、台風の眼においては普通の海面上におけるよりも促進増大せしめられるとしてみても、前に述べたように微量にすぎないものと考えられるのであつて、これらのことと前記のような台風の眼における気象状態とを総合すれば、台風の眼における気体は微量の水素を含む空気であると推認するほかなく、原告主張のように台風の眼において多量の水素が発生し存在するとの事実を肯認するに足る証拠資料は一つもない。
なお、原告は、かりに台風の眼に充満するほど多量の水素が存在しないとしても、幾分でも水素が存在すれば、その水素と酸素とを化合させることにより台風を弱化せしめ得ると主張するけれども、台風の眼の中にある水素が極めて微少なものであるとすれば、それを酸素と化合せしめることが可能であるとしてみても、台風を弱化せしめるというほどの効果を期待し得ないことは明らかであり、いやしくも台風を弱化せしめようとする以上、その効果を生ぜしめるに足る相当多量の水素の存在を前提としてはじめて原告主張の発明が成り立ち得るものと考えるほかないのであるが、原告においてどの程度の量の水素が存在すれば所期の効果を挙げ得るやを主張するところがないのみならず、前記のように台風の眼における水素の量が微量の程度を超え相当多量に発生していることを認定するに足る資料が存しない以上、結局原告主張の本件発明にかかる方法により台風の抑制弱化という所期の目的を達成し得べきこともまたこれを肯認するに由ないものというほかはない。のみならず、原告主張の本件発明は、台風がすでに眼を有する程度に生長しいわば本格的な台風となつた後にこれを抑制または弱化することを目的とするものであることは、前記乙第四号証の記載その他弁論の全趣旨によつて明らかであるが、前記乙第二号証の一一・一二によれば、台風のエネルギーは巨大なものであり、中程度の台風の有するエネルギーでも一億馬力の二〇〇万倍に相当することが認められるのである。今かりに台風の眼に或る程度の水素が存在するものとして、これを同じく台風の眼に存する酸素と化合せしめて水とすることが可能であるとしても、そのことから、前記のように巨大なエネルギーを有する台風がいかにして抑制弱化せしめられるのかの点につき、原告はこれを肯認せしめるに足る証拠を示しておらず、殊に、前記のように台風の上部より眼の中に絶えず吹きこむ下降気流が存することと関連して、たとえ眼にある水素と酸素とが化合し、それだけ既存の気体を減少せしめることができるとしても、他方右の下降気流により絶えず空気の流入補給がなされることを考慮に入れなければならず、この空気の流入にもかかわらずなおかつ台風の力を減弱せしめることにつき原告においてなんら主張するところがなく、もとより右のようなことが可能であることを認めるに足る資料もないのであつて、この点からしても、本件発明の方法により台風を抑制弱化せしめ得るとする原告の主張は採用できないのである。してみれば、本件審決において原告主張の発明が旧特許法第一条にいう発明に該当しないものと判断し特許を拒否すべきものとしたのは相当であり、右審決にはなんら違法の点は存しないものというべきである。